伝説の〇〇牡蠣!!とかではなく、日本の昔話に牡蠣が絡んでいるという話です。

場所は神奈川県鎌倉市にある長谷寺

なんとここに「かきがら稲荷」というものが存在します。

この「かきがら」はもちろん私たちが良く知る「牡蠣殻」です。

この話はまず700年代の近江国(今の滋賀県あたり)に遡ります。

日本史の700年代と言ったら、古代社会から平安時代への移行期でもあり歴史的にも色々動いた時代ですね

701年の大宝律令から始まって、平城京と平安京の二回に渡る遷都、墾田永年私財法など生活基盤に関わる問題がものすごく動いた世紀だと個人的には思っています。

そんな時代に牡蠣の話。このブログでも何度も書いていると思いますが、牡蠣は縄文時代から食されてきました。当然この時代でも食べられていたと思います。

近江国に巨大な楠が倒れておりました。そしてある時、その楠が洪水で大津に流されました。

そしてその倒木の祟りによって里の人たちに影響を及ぼす事になり、それを聞きつけた徳道というお坊さんが、その楠を譲り受けます。

徳道は2人の仏師にお願いし、2体の観音像を彫ってもらいました。

一体はお寺へ、もう一体は「何処かの地へ現れその地の人々を救いたまえ」と言われ海に流されました。

そして、その流された観音像は牡蠣殻に導かれ、三浦半島(神奈川県相模湾側の横須賀)に到着します。そこで発見した人たちに一度祀られ、仮に置かれた場所は仮屋が先という名前として今も残っています。

そして観音像は鎌倉の長谷寺に移動し、今も祀られています。

…ん?って事は長谷観音って、この観音様の事⁉︎

そうなんです。流された観音はいまでも祀られており、木造として日本最大の本尊・十一面観音像として今も多くの方を見守っています。

という事で鎌倉においでの際には是非、「長谷観音」と敷地内にある「かきがら稲荷」をご覧ください。