◼️牡蠣は縄文時代から大人気の食品

私たちの大好きな牡蠣

その牡蠣は遥か昔、縄文時代から食べられていました。

歴史の教科書で貝塚という単語を聞いたことをこの瞬間に思い出した人がいるかもしれません。

 

 

 

東京都北区にある中里貝塚では

貝塚から出土された食品のラインナップは

ハマグリと”牡蠣”でした。

そしてその堆積量は深さ4メートル、長さが1キロ、幅100メートルにも及び、日本でも最大級の貝塚でした。

 

現在の東京都北区は海に面しておらず、膨大な量の貝が出土される事はイメージしにくいですが、縄文時代は汽水域(淡水と海水が混ざる地域)だったのでしょうね。

そしてさらに凄い事にこの貝塚の場所は牡蠣の加工場でもあったのです。

砂地を掘り、粘土を貼り、木枠で固めた場所を作り、加工を行っていました。

 

 

 

◼️縄文時代も今も変わらない調理法

加工場で行なっていた処理は主にストーンボイリング方法。

いわゆる焼き石を使用したもので『蒸し焼き』か『茹で上げ』のに種類でした。

『蒸し焼き』

掘った穴に焼き石を入れ、その上に牡蠣を置き、草などで蓋をして水をかける

『茹で上げ』

掘った穴に牡蠣を入れ水を張り、焼き石を投入する

今では調理器具を使いますが、蒸し焼きなどの原理は変わらないですから、旨味の凝縮する蒸し牡蠣は縄文時代から好まれていたのですね。

ちなみに生牡蠣が出始めたのは明治時代以降外国から入ってきました。

 

◼️さらに加工食品としても

また出土され加工された牡蠣は集落外に交易品として供給されていたようです。

干し牡蠣、漬物などの加工品として内陸部に出荷していたという説があるみたいです。

細かい加工方法などは分かっておりませんが、縄文時代に商業としての基礎を築いていたのかもしれませんね。

どのように流通されていたのか、また調べて見たいと思います。

 

縄文時代の自然豊かな環境下での牡蠣はどんな味がするのでしょうね?

効果効能が化学的にわかる遥か昔から、本能的に愛されてきた我らが牡蠣!

 

そのうち縄文式調理方など動画でアップしてみたいと思います。