フランスの牡蠣の歴史を勉強する中で、意外に知られていない牡蠣を通じたフランスと日本の関係があることを知りました。おそらくほとんどの人が知らないだろうことだと思いましたので、ご紹介していきます。

1 フランスの危機を救ったのはフランス
2 フランスの牡蠣の危機から日本の危機までの年表
3 東日本大震災で救ってくれたフランスの牡蠣業者

フランスの危機を救ったのはフランス

フランスでは牡蠣には大きく2つの種類があり、殻が丸めで平べったい(中身も薄い)タイプと、クルーズと呼ばれる細長くて深い彫りのタイプがあります。実は後者はHuitres Japonaise(日本の牡蠣)とも呼ばれているんです。

1963年、ブルターニュ地方を大寒波が襲い、水面が氷河のように凍った状態になって、その後、なんと80パーセントもの牡蠣が疫病で絶滅しかけました。

フランスの牡蠣の危機から日本の危機までの年表

フランスの牡蠣が80%疫病でやられた時に牡蠣を寄贈したのが日本の三陸の養殖業者達。これがクルーズのルーツと言われています。今では、フランスで流通しているほとんどがクルーズ型で、この日本原種といわれています。

この病気に打ち勝てるカキを世界中に探し求め、病気に勝てるか生産者や学者が力をあわせ調査を行いました。世界中の牡蠣を試し、そこで日本のマガキ種が病気に耐性があることがわかりました。

1970年~1980年

この日本のマガキ種の中でも、宮城のマガキ種がフランスの環境により適していることが判明し、交配用および食用の牡蠣を輸入するようになりました。

フランスを助けたのは宮城以外にも、広島種を使う生産者もいました。フランスを救ったのは、どちら説という話もありますが、フランスからみればどちらも日本のマガキですので両方正しいみたいです。

ひとつ確実なことは、日本のマガキ種は世界的にみても大変強い品種だということ。

1980年~2008年

日本由来のマガキ種でカキ養殖を行うことが定番となり、市場に出回る牡蠣の99%が日本由来種となりました。

また、約10年周期でフランスの牡蠣が死んでしまう病気が流行。そのたびに、宮城県から交配用の母貝を入手し、牡蠣養殖を維持してきました。

東日本大震災で救ってくれたフランスの牡蠣業者

東北地方で大規模な津波が3月11日に発生。

世界最強種であるマガキもすべて流されてしまうという事態となりました。

津波が発生しなければ、3月17日に宮城県からフランスのIfremer(国立海洋研究所)に5000個の交配用の母貝が送られる予定でした。

2011年の未曾有の震災で、三陸産の牡蠣は大打撃を受けたと聞いて、声を上げてくれたのがブルターニュの牡蠣業者たち。数十年前にフランスに贈られて育ち、また、脈々と生まれ育ってきた牡蠣たちの子孫が、三陸に贈られたのです。

今みなさんが食べている牡蠣は、もしかしたらフランスとの友好の証かもしれませんね。