牡蠣が大量に食べられていたという証拠は、人類発祥の地として知られる南アフリカで発見されており、なんと16万年前のものです。

よく知られていることですが、古代の人々は食べた貝や骨を一か所に捨てる習性があり、それを貝塚と呼んでいます。貝塚の中には何世紀にもわたって貝を捨て続け、やがて島になってしまった場所もあるくらいなんですよ!
あまり知られていないことなのですが、大きな貝塚が発見されているところは今も牡蠣の養殖を行っていたり、ワインの名産地であることが多いです。

貝塚を調べて分かったことの中では次のようなことがあります。

4万年ほど前から変わらぬ生活を送っていたアボリジニある部族の貝塚からはなんと哺乳類の骨が見つかっておらず、たんぱく源のほとんどを牡蠣に頼っていたということがわかっており、さらには牡蠣が豊富に取れる湾を中心に集落を形成した形跡も残っている。

ウラジオストク近くの湾にある6000年ほど前の貝塚から出てきた牡蠣の98.5%は真牡蠣であり、おいしい真牡蠣だけを選別し、そのころから牡蠣の養殖をしていたのではないかと言われている。
(牡蠣の養殖発祥には諸説あるのであえて触れません)

文明誕生以降はどうだったのかというと、エジプト中王期(BC2040年頃)の遺跡からは牡蠣をかたどった護符が発見されています。また、シュリーマンが発掘したミケーネ文明(BC1600年ごろ)遺跡の中にある円形墳墓から(大量の黄金のを発見したことがとても有名だが)海の民として知らているミケーネ人らしく、牡蠣の殻と開けられていない牡蠣が出土しており、副葬品として食べていたものを埋葬したと考えられている。つまり3600年前には牡蠣は一般的な食べ物として食卓に上がっていたことになります。

ギリシャの哲学者プラトンはティマイオスという本の中で牡蠣についてかいています。また、食卓の賢人という3世紀のギリシャ語で書かれた最古の料理本の中には牡蠣の容リ法法が書いてあります。
ギリシャの都市は海の近くに作られており、古くから牡蠣を食べていたと思われています。

ローマ人は非常に牡蠣好きであることが知られていますが、ローマから海は遠く戦争をして海の近くを占領しては牡蠣を内陸まで運んだといわれています。ドイツやスイスの内陸部の古代ローマ帝国の遺跡からは牡蠣を氷詰めにして輸送した形跡を発見することができるものが見つかっている。
そう考えると、ローマ帝国の遠征は牡蠣を求める戦争であったのではないかと思ってしまうほどである。現に皇帝のウィッテリウスは1回の食事に1000個の牡蠣を食べたという伝説すら存在する。

近代になっても牡蠣と人の歴史の関係は切っても切れないものとなるのであるが、今回はここまでとします。